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兵庫県御津町・新舞子海岸にて 1999.8.1撮影
新舞子観光発展の経緯

1.新舞子は大正11年迄船越ノ浜と言われていたが、当時県会議員堀林之助が中心となり、地区住民全員が当地を観光地に開発、発展させるため、大正11年に船越ノ浜の墓地を現墓地である折敷谷に移転し、神戸舞子浜にちなんで、新舞子と名付けた。

1.昭和25年に新舞子が瀬戸内海国立公園に指定された。

1.昭和36年には、元御津町長八百亀治氏と黒崎区長丸田豊治氏と協議会が、新舞子観光発展のために、新舞子観光事業株式会社を黒崎総有財産管理会と八百亀治氏の出費で発足させ、民有地を買収し駐車業務を開始。当時は自転車、バスが主体であり、将来の車社会を見込んで、大駐車場を完備させた発想はすばらしく、新舞子観光発展に大きく寄与した。

1.昭和53年から綾部山梅林観梅の駐車業務を開始し、昭和56年から羽子池の一部埋立地を利用し、駐車業務の拡大で会社は大きく発展した。

1.平成9年2月より、商法改正により社名を有限会社新舞子観光事業に変更し、八百亀治氏所有株を黒崎総有財産管理会が譲受し、全株を黒崎総有財産管理会出資の会社とする。

 

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